【オリオン座の伝説など】
ギリシア神話では、巨人の狩人オリオンの姿として知られ、多くの伝説が残されています。(ギリシア神話参照)
日本では、星座の形から「鼓星(つづみぼし)」とも呼ばれ、これは徳川時代にさかのぼる古い名前です。
他にも「かせ星」などがありますが、この「かせ」は糸をつむぐ時に巻きとっておく道具のことで、
「稲架の間(はざのま)」は刈り取った稲を乾燥させる稲架(稲かけ)をいうもので、オリオン座が日没後に出てくるころは、
稲かけが水田の方々に残っている時期にあたるためです。
中国では、二十八宿の「参宿(しんしゅく)」と呼び、オリオンの首のところを「觜宿(しししゅく)」といいます。
「参」はオリオンの三つ星からきているといわれ、「觜」は口のことで、オリオン全体を白い虎の形と見ていたことが伝えられています。
ボルネオでは、片腕のない男としてその伝説が残され、古代バビロニアでは、メロダック王と呼んで聖書にもニムロデとして残されています。
その他スカンジナビアで巨人のオルワンデルと呼ばれ、各国で神や国王、巨人、武人などの名前が与えられていました。
【オリオン座とさそり座の伝説】
ギリシア神話の中の一つに、自惚れたオリオンをこらしめるために神々から送られてきた毒さそりに刺されて死んだとして、今でもさそりを恐れて、
さそりが西に沈むのを待ってから、東に昇って来るのだと伝えられる話がありますが、
これは、2つの星座が東西へ約170度を隔て、同じ季節には出ないことから生まれた伝説で、
この神話と似たような話が多く残されています。
中国の左伝には、昔、高辛氏(こうしんし)に2人の子供がいて、ある時兄弟に争い事が起こり、ついに剣をとって戦い始めました。
そこで天子は、兄を商の国にうつして「辰の星(さそり座の三星)」を司らせ、弟を大夏の国へうつして「参の星(オリオンの三つ星)」を司らせることにしたとあります。
この伝説から「参商かなわず」という言葉ができて、友人などが久しく会わないことにも例えられるようになりました。
日本にも「かごかつぎ星(さそりの三星)」が「酒ます星(オリオン座)」の店で酒かすを買って、その代金を支払わなかったために、
いつも追いかけられているという話が残されています。
【オリオンの三つ星についての伝説など】
中国では、今でも毎年正月の8日に参(三つ星)を見て、上元節(じょうげんせつ1月15日)の天気占いをしたり、
またその夜、月が三つ星の後ろにあれば年内に大水がある。月の前にあれば大ひでりがある。と言われています。
インドでは鹿の姿と見ていて、この鹿はロヒニー(おうし座のアルデバラン)の父プラジャパティーといわれていました。
ロヒニーは月の神ソーマの27人の妻の1人で、もっとも愛されていました。そんなロヒニーを、ある時父がからかって追いまわしました。
それを見たムリガ・ヤードハ(鹿殺し-おおいぬ座のシリウス)の射った矢が鹿の腹をぬいました。それで、今でも鹿の姿のプラジャパティは、
イシュス・トリカンダー(3ふしの矢-三つ星)で空に縫いつけられているのだと伝えられています。
ビルマでは、「バンギ(天びん棒)」や「フミヤー(矢)」と呼ばれ、天びん棒の呼び名には伝説が残されています。
昔、インドにダシェルタという王がいて、宮殿の側にため池を掘らせました。ところが池を使うための儀式をする前に、
1人の若者が、天びん棒で水がめをかついで来て水を汲もうとしました。それを見つけた王は、矢でその男を殺してしまいました。
後で調べてみると、その若者はサンワンといって町で評判の親孝行息子でした。両親は目が見えず、サンワンはいつもかごに乗せてかついで歩き、
この日も両親に水を飲ませるために、ため池の水を汲んでしまったことがわかりました。王は後悔して、自分で水がめをサンワンの両親のところへ運び、
深くわびたといいます。そして、サンワンの天びんが天に昇って三つ星になったと伝えられています。
日本でも三つ星を、親孝行の息子が病の両親を担いでいる姿といわれ、「親かつぎ星」「親孝行星」「天びん棒星」などと呼ばれたり、
「三星様」、宮城や岩手では「三大星」、福島では「三大師」、千葉では「尺五星」「三ちょうれん」、東北地方では「竹の節」、
富山では「竹つぎ星」、三浦半島辺りでは「三間星(さんげんぼし)」など様々な呼び名が残されています。
また日本には、三つ星の南に縦に一列に並んでいる小三つ星についても、「横三つ星」「小三星(こさんじょう)」「影三星(かげさんじょう)」「伴星」「隠居星」などが伝えられています。
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