【各国に伝えられる名称など】
古い時代のこの星座は、熊などの動物よりも、北斗七星を車や荷馬車、ひしゃくなどに見られることが多かったようです。
古代バビロニアでは「大きい車」と呼ばれ、ギリシアでも詩人ホメロスが「車とも呼ばれる熊」と記しています。
アメリカでは「グレート・ディックバー(大きなひしゃく)」、フランスでは「ソースパン(柄のついた深鍋)」、
エジプトでは「大神オシリスの車」、ギリシアでは「ハマクサ(車)」、スカンジナビアでは「大神オーディンの車」「雷神トールの車」、
イギリスでは「アーサー王の車」「チャールズの車」などと呼ばれていました。
また中国では昔から、「北斗は帝車なり」といって、絵には北斗の車に皇帝が乗り、周りの主な星が大臣や高官として表されています。
これは北斗七星が、地平線に沈むことなく、1日に1回北極を中心に巡る周極星であること、また四季により柄の端の破軍星が
一定の方角を指して、人々に正しい季節を教える、北極星に次いで重要な星だったためです。
【アラビア】
古代アラビアでは、北斗七星のひしゃくの4星を棺とみた話が残されています。
これは、3人の娘が父を入れた棺を守りながら、毎夜北極星を狙ってその周囲をまわっているのだといいます。
ひしゃくの4星は棺、3人の娘は北斗七星の柄の3星、2番目の娘が抱いている赤ちゃんがアルコルで、
柄の端の星は「棺を送る者の長」であると伝えられています。
【日本】
日本では、「四三(しそつ)の星」(北斗七星)が「子(ね)の星」(北極星)に恨みがあり、隙を狙って周っているのだといい、
それを、「番の星」(こぐま座のひしゃくの端の2星)が守って、内側で周っていると伝えられています。
【インド】
インドでは、北斗七星の7つの星は7人の聖者と見られていました。
【中国】
中国には、北斗と豚の伝説が残されています。
宋の時代に、徐武功(じょぶこう)という男の人が、北斗七星を信心してその精の豚を決して食べませんでした。
ある時、徐が無実の罪で法廷に引き出され、いよいよ死刑の宣告が下ろうとしたとき、大風が吹き雷が鳴りはじめ、
どこからともなく、豚のようなものが7匹現れ法廷の上にうずくまりました。そのために徐は無罪になったといわれています。
また中国には他の話も残されていて、これは、北斗七星の7星を7人の和尚様とするものです。
唐の太宗の時代、7人の住職がどこからともなく西京に現れて酒を飲み歩く姿がしばしば見かけられていました。
ちょうどその頃、北斗七星が空から光を消したので、この7人のご住職は北斗の精に違いないと、太宗が召して酒を飲ませようとしたところ、
たちまち姿を隠してしまって、その夜から再び北斗が輝きはじめたと伝えられています。
中国の有名な水滸伝(すいこでん)の百八人の豪傑が伏魔殿(ふくまでん)を破って八方へ飛び散ったのは、天こう星、地さつ星の生まれ変りとなっていますが、これも北斗七星のことです。
【フランス】
南フランスのバスクの人々の間にも北斗の伝説が伝えられています。
ある農夫が、大事な牛を2匹、2人のどろぼうに盗まれてしまいました。すぐに使用人に追いかけさせましたが、
なかなか帰って来ないので、牧場の番人と犬を探しに向かわせました。ところが番人と犬も帰ってきません。
そこで今度は自分で追いかけて行きましたが、あまりに長いことかかってしまったので気がふれてしまいました。
今見える北斗のひしゃくの4星は、2匹の牛と2人のどろぼう、柄の3つの星は使用人と犬を連れた牧場の番人、
最後の星がこの農夫で、犬はアルコル(80番星)だと言われています。
【韓国】
韓国にも、北斗七星に関する伝説が残されています。
あるお金持ちが、大工を雇って四角な家を建てさせました、ところが出来上がってみると、いびつに曲がっていたので、
そのお金持ちの息子がひどく腹を立て、斧で大工を殴ろうとしました。大工は慌てて逃げ、息子はそれを追いかける。
そのお金持ちの父親は止めようと息子を追いかけました。それが北斗七星になって、いびつな家はひしゃくの4星、
柄の3星は、大工、息子、父親で、息子の持つ斧が、アルコルであるとする話が伝えられています。
【蒙古】
蒙古の一部族の間では、北斗七星をドロン・ブルハン(7人の神)と呼び、メチト(プレアデス)から星を1つ盗んだとされています。
盗んだ星はアルコルで、光が弱いのはそのせいだといわれ、蒙古の盗賊はアルコルを神として祈るといいます。
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