・・・きよしこの夜が生まれた夜・・・
エリザベス・シェリル





シェリル夫妻はある年の12月、オーストリアの寒村、
オーベルンドルフに滞在していました。
そこに友人からの手紙が届いたのです。
「あなたが今年のクリスマスにそちらを訪ねられたのは正解でした…」
これが書き出しでした。ニューヨークのマウント・キスコにある私達の教会、
聖マルコ教会は当時、地下室の暖房パイプの断熱材、
アスベストを除去する工事をしていました。
ところが、オルガンの空気取り入れ口も地下室にあるため、
アスベストの粉塵が舞っている間は、
オルガンの使用は中止せざるを得ませんでした。
もし工事がイヴまでに終わらなければ、
この友人夫妻はどこか他の教会に行くつもりだと、
書いてありました。「オルガンのないイヴ礼拝など考えられないもの。」


シェリルは窓辺に手紙を置くと、ザルツァハ川の灰色の水面の向こう、
はるかかなたのアルプスを見やりました。ザルツァハ川は、
オーベルンドルフの村の所で蛇行していて、
ちょうどその川に囲まれるようにして教会が建っていました。
川の水によって建物の土台は浸食が進み、
教会はやがて解体されてしまうことになったのです。
私は手紙の友人に、この消えてしまった教会のことを、
話してやりたいと思いました。
実はこの教会のオルガンも、ある年のクリスマス・イヴの夜、
音をひそめて鳴らなかったことがあるのでした・・・

川からの湿気で腐食してしまったパイプは、1818年のクリスマス・イヴには、
ヒューヒューと囁くような音しか出なかったのです。
巡回のオルガン修理士が村に到着するのは、翌週になってからのこと、
クリスマスミサには間に合いません・・・・・
この知らせは特にふたりの若者の悩みの種となります。
ひとりは31歳のフランツ・グルーバー、教会のオルガニストでした。
フランツは子供の頃、音楽のレッスンが受けたいばかりに、
麻織りの仕事を抜け出しては親方に叱られたと言います。
村の聖歌隊は懸命に練習を重ねて、イブ礼拝に備えていましたが、
複雑で難しいクリスマス・カンタータを伴奏なしで歌いこなすのは、
不可能なことでした・・・フランツ・グルーバーは途方に暮れます・・・・・
同じように困り果てていたのは25歳の牧師、ヨーゼフ・モールです。
ヨーゼフ・モールは貧しい家の生まれで、教会の善意で牧師になる訓練を受け、
就任してまだ間もなくありませんでした。だから、なおのこと、
その年のクリスマスを特別に華やかなものにしようと願ってきたのです。
それが、いよいよ24日という日になって、オルガンがないというのです・・・
ヨーゼフはギターを持っていました。しかし、複雑なフーガやカンタータが
歌われるクリスマス・イヴの礼拝には、
どう考えてもギターで代用が勤まるわけはありません。
もしクリスマス前夜の神聖さをうまく表現する簡潔な歌詞があり、
それにギターだけでも十分なメロディがつけられれえば、
なんとかなるかもしれないのですが・・・・・
そう思った瞬間、歌詞がほとばしり出ました。ヨーゼフはそこいらにあった
紙切れをつかむと書き始めます。彼の羽ペンは滑るようでした。
ヨーゼフの書き上げた短い詩をオルガニストのフランツが目にしたのは、
イヴの日も午後になってからです。
「この詩にギター用のメロディをつけてもらえないだろうか。」
フランツは答えました。「やってみよう。」
やっと曲ができたのは、もう聖歌隊が集まり始める時間でした。
曲全体を教える時間はありません。
ヨーゼフとフランツはデュエットで歌うことにし、
聖歌隊には最後の行だけ繰り返してもらうことにしたのでした。

こうして、音の出なくなった役立たずのオルガンに不服顔であった会衆は、
オルガンの曲こそ聞けませんでしたが、代りにギターに合わせて歌われる、
若い新任牧師のテノールとオルガニストのバスの歌声を聞いたのです。
そして聖歌隊が最後の行を繰り返しました。
その歌詞とメロディは、礼拝に集まった人々の心を強く捕らえたのです。
礼拝が終わると多くの人がメロディを口ずさみながら教会を出て行きました。
数日後、オルガン修理士がオーベンドルフに到着しましたが、
人々はその時もまだこの曲を口ずさんでいました。
修理士は詩も曲もたいそう気に入って、すっかり覚えてしまい、
行く先々の町で演奏して見せたのです。チロルでは、ある旅芸人の一座が、
自分たちのレパートリーに加えることもあったほどでした。
もちろん、ヨーゼフ・モールもフランツ・グルーバーも、
ことの結末を知るよしもありません。
オルガンのないクリスマス・イヴの礼拝のために急きょ自作自演した曲が、
やがて世界でもっとも親しまれるクリスマスキャロルになろうとは、
ふたりとも夢想だにしなかったでしょう。


夫妻が手紙の友人にもっとも知っていて欲しいと考えたことは、
この1818年のオルガンの鳴らなかった礼拝のことでした。
その時も、他の教会に行きたいと思った人が大勢いたに違いありません。
しかし、他の教会に行ってしまった人は、実に残念なことをしたのです。
彼らは世界で初めて歌われた「きよしこの夜」を聞き逃してしまったのですから。
そして、1818年のイヴの夜、オーベルンドルフのオルガンが鳴っていたら、
私達は「きよしこの夜」を耳にしたり、歌うこともなかったのです・・・






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